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NAGASAKI Kusunoki project

 

長崎には「被爆樹木」と呼ばれる木々があります。

長崎には、原爆の爆風や熱線を耐え抜き、
今も生き続ける50本の「被爆樹木」が存在します。

長崎クスノキプロジェクトは、そんな長崎の「被爆樹木」の保全、保護を行います。

そして、その存在を広く認知してもらうことで、戦争の記憶、被爆の実相を伝え、命の逞しさ、平和への願いを次世代へとつないでいくプロジェクトです。

NEW!

ニュース

News  

2023.03.28

「被爆樹木」紹介ページ更新のお知らせ

長崎市では、坂本2丁目の「山王神社クスノキ群(19本)」と筑後町の「本蓮寺の鉄輪樹(1本)」の2件を新たに被爆樹木として追加しました。追加に伴い、「被爆樹木」の紹介ページを更新しています。それぞれの樹木が持つストーリーを是非、ご覧ください。

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ムービー

Movie  

Details

被爆樹木は、今日も長崎の人々の暮らしと共に立ち続けています。

その一本一本に、戦争の記憶と、生命の物語があります。

被爆樹木

Trees  

50本全ての被爆樹木を見る

被爆樹木マップ

Map  

長崎市の50本の被爆樹木をマッピングしました。
円の地点が爆心地(上空500mにて炸裂)。
それぞれの被爆樹木をクリックすると、よりくわしい写真と説明を見ることができます。

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クスノキ基金について

Donation  

長崎市出身のシンガーソングライター・俳優の福山雅治氏は、2014年に被爆クスノキをモチーフにした楽曲「クスノキ」を発表しました。

その楽曲と共に巡った全国のライブ会場や、オフィシャルホームページに寄せられた「クスノキ募金」(所属事務所㈱アミューズが窓口)を、山王神社の被爆クスノキ他被爆樹木の保存により活用してほしいとの想いから、長崎市に全額寄附されました。

それをきっかけに長崎市は、被爆樹木の保存・活用を推進していくため、2018年12月に「クスノキ基金」を設置いたしました。

「平和への願い、生命の逞しさ」の象徴である「山王神社大クス」をはじめ、長崎市には原爆の爪痕を残す「被爆樹木」がたくさん存在します。 現在は、このクスノキ2本を含め、爆心地から4キロ圏内の50本が保存の対象となっています。このうち民間所有の被爆樹木については、基金を設置する前、整備費の4分の3を長崎市が補助していましたが、基金を設置したことによりクスノキ基金から充てられるようになりました。

また、ふるさと納税からの寄付も加わり、2019年2月には多くの皆様の想いで寄せられた基金を、被爆樹木の保存に充てるだけでなく被爆樹木を平和のシンボルとして、国内・世界に発信していく事業にも活用できるようにしました。

FAQ

faq  

被爆樹木とはなんですか?
長崎では、原子爆弾により被災した樹木を「被爆樹木」と呼んでいます。

一般的には、原爆に限らず、空襲の被害にあった木々を総称して被爆樹木と呼んでいます。特に、長崎においては、1945年8月9日の原子爆弾により被災した樹木が一般的に、被爆樹木と呼ばれています。
原子爆弾は、一瞬にして膨大なエネルギーを放出し、それが爆風や熱線、放射線として、地上にいた全ての人々を襲いました。長崎市では7万人以上がなくなり、都市の1/3が破壊され尽くしました。ある樹木は爆発のエネルギーを真上から受けて裂け、ある樹木は火災とともに焼け落ちました。そのような悲惨な状況の中、辛うじて生き残った樹木が被爆樹木です。生き残った被爆者は、樹木が葉を1枚1枚つけていくのを見て、生命の力強さに勇気づけられました。現代を生きる私たちにとっては、被爆者が体験した過酷な状況、そこから息を吹き返す命のたくましさを感じる「よすが」となっているものです。
被爆樹木は50本だけですか?
保存対象となっている被爆樹木が、50本です。

長崎市では、被爆した建物や橋、樹木などを合わせて「被爆建造物等」と呼んでいます。その被爆建造物等の中で保存対象としている樹木が50本です。
原爆被爆当時に存在し、現在も生きている木は、その50本以外にも長崎市内に多くありますが、爆心地から概ね4km以内にあり、被爆の生々しい傷あとや、地域や社会の被爆の実態を物語る樹木を保存対象としており、その数が現状50本ということになります。
被爆樹木に放射線は残っていますか?
いいえ、残っていません。

長崎や広島の原爆では、「放射性物質」ではなく「放射線」そのものが樹木を通過し、被爆をしました。通過した放射線は樹木の中には残っておらず、空気中を通過していく中で減弱していってすぐに消えてなくなりました。
被爆樹木の表面や内部に放射線が残っているということはありません。
クスノキ基金へ寄附はできますか?
はい、できます。

下記の方法で寄附していただくことが可能です。
1.寄附
個別で寄附を受付けております。寄附金は、直接、原爆資料館へお持ちいただくか、現金書留での送金をお願いします。領収書は後日お送りいたします。
2.募金箱
募金箱を長崎市役所と原爆資料館に設置しています。
・長崎市役所本庁1階ロビー
・原爆資料館インフォメーション、事務室
3.ふるさと納税
ふるさと納税(がんばらんば長崎市応援寄附金)の使い道の中で、『2.クスノキ(被爆樹木)の保存』 があります。希望の方はこちらをクリックしてください。

学芸員からのご案内

guide  

なぜ、被爆樹木の保全が大切なのでしょう?
原子爆弾を含む核爆弾は、一度使用されると、取り返しのつかない被害を、個人、地域、社会にもたらします。そのことを、今までは多くの被爆者の方々が、自分が経験した壮絶な体験を話すことによって、私たちに伝えてくださいました。
しかし、被爆から78年以上が経過して、被爆体験を直接聞くことは、どんどん難しくなっています。
被爆樹木は、話をするわけでも、何かを見せてくれるわけでもありません。でも、被爆樹木が抱えてきた傷を見つけ、樹木を大切に守ってきた方々の思いに触れるとき、被爆樹木という存在から何かを感じ取っていただけるのではないかと信じています。
被爆者の方々から被爆体験を直接聞けなくなっていく状況だからこそ、被爆樹木を保全することに意味があります。
被爆樹木を見学する際に、ぜひ感じていただきたいこと。
五感を使って見学してください。幹の色や質感だけでなく、状況が許せば手触りや匂いを嗅いでみることもよいかもしれません。治療の傷痕が残っている木もあります。痛々しさを感じる反面、青々と茂る葉を見ると、それでも生きている樹木の生命力を感じることができるでしょう。
また、その樹木だけでなく、周囲の環境にも目を留めてみてください。爆心地の方向を眺めながら樹木を見ると、その木が被爆した時にどんな感じだったのかイメージできるかもしれません。また「被爆樹木の影に隠れていたので助かった」という被爆者の方々の証言もあります。実際にこの木の影に隠れてみるのもよいかもしれません。そして、より広く目を配ってみると、被爆樹木を守ってきた所有者や地域の人々にも思いを馳せることができるでしょう。何気なく目の前を通っていく人々を見守っている大木が、実は壮絶な場の目撃者でもあったことを意識して見ると、また違った見方ができるかもしれません。
他にも、時間を変えて2回見てみるのもよいことです。朝焼けや夕焼け、太陽が真上に来ている時や夜の被爆樹木、それぞれの樹木が生きている場所によって、どの時間帯の被爆樹木に感動できるか、それぞれのベストタイムを見つけられるかもしれません。
被爆樹木を守るために、行っていること。
日々、所有者の方々が、樹木自体を見守ってくださっています。長崎市では、樹木のお医者さんである樹木医の方々にお願いして、年に1回の被爆樹木パトロールを行っています。このパトロールでは、樹木医の目から見た樹勢や病害虫の有無、その他治療が必要な場所がないかなどを1本1本チェックしています。
この樹木パトロールで、治療が必要となった樹木は、所有者の方々と相談し、クスノキ基金も活用した治療を行っています。
治療には、土壌改良、施肥、支柱の設置、薬の塗布、特別な剪定などの方法がありますが、その樹木に合わせて、樹木医さんと一緒に選んで行っています。
被爆樹木が生き残ってきたわけとは。
被爆樹木が現代まで守られてきたのには、非常に多くの要因が関係しています。
被爆樹木が生きている場所の特性、爆心地からの位置関係、周囲の火災に巻き込まれたかどうかなどによって、被爆樹木の生死が分かれます。その後、人々が生き残るための燃料や建材、家屋や道路の拡張に伴う伐採や、台風や洪水などの自然災害、古木であることによる自然死など、さまざまな要素で被爆樹木が失われる可能性がありましたが、それらを全て乗り越えている木が、今日まで生き残っています。
そう考えると、所有者の方々が被爆樹木に対して思い入れを持ち、大切に世話をされていることがよくわかるのではないでしょうか。

長崎原爆資料館 学芸員