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NAGASAKI Kusunoki project

 

50本蓮寺鉄輪樹

【樹木データ】

  • 樹種

    オオカナメモチ

  • 高さ

    約6m

  • 幹回り

    約3m

  • 所有者

    本蓮寺

  • 見学

    可能

 

  本蓮寺は、1620年に本経寺の日恵上人により開山された日蓮宗の寺院です。もともとこの場所には、日本で最初のハンセン病の病院「サン・ラザロ病院」と「サン・ジョアン・バプチスタ教会」がありました。本蓮寺は、1648年に朱印地(※将軍から朱印状によって認められた領地のこと)に指定され、大音寺・晧台寺とともに長崎三大寺院と称されました。勝海舟が長崎海軍伝習所の伝習生として航海術や砲術を学んだ頃に住んでいたお寺でもあります。

  長崎における歴史・文化の拠点的施設として知られていましたが、原爆投下により全山焼失しました。原爆投下直後は、本堂の瓦が爆風で吹き飛んだ程度で、庫裏は半壊状態だったものの山門は健在だったそうです。しかし、その後山門が燃え、次いで庫裏が燃え上がりました。本堂は山門が燃える前から白い煙が立ち上がっており、そのくすぶりの時間が長かっただけに、一度火を発するや、その勢いは激しいものでした。本堂裏の土蔵は爆風で鉄の扉がへこみ、そのすきまから火が入ったのか、寺の宝物類なども一つ残らず蒸し焼きになりました。

  本蓮寺境内の本堂正面にあるこの鉄輪樹も3日間ほど燃え続け、「もう芽はでないだろう」と思っていたら再度芽吹いたそうです。上部が焼けて無くなった後に、残っていた根元から複数の幹が伸びて現在のようになったと考えられます。樹勢は旺盛で複数に分岐した幹は多くの葉をつけています。本蓮寺ではこの鉄輪樹を「被爆蘇生の樹」と呼び、大切にしています。

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