現在、原爆資料館の中庭に移植されているこのヒラドツツジは、長崎市油木町(被爆当時は西郷)の池田操さん宅に植えられていたものです。
池田操さんは、中国の上海に出征し、1946年に復員して自宅に戻ってみると、爆心地から1.1kmにあった自宅は倒壊し、母や妻、生後まもない長男ら家族5人を原爆により奪われたことを知ります。そのような中、庭に植えられていたこのツツジやマツは生き残っており、池田さんはこのツツジを家族の形見として大切に育てました。被爆した部分に筋状の傷あとを残しながらも、今も春になるとピンク色のきれいな花を咲かせています。
被爆から40年経った1985年、池田さんより、原爆資料館(当時は長崎国際文化会館と呼んでいました)に寄贈され、いまに至ります。
(ツツジの見頃は4~5月頃。写真は10月下旬のものです。)